東京から金沢に行き、日本海沿岸沿いに西に進んで下関から九州を一周する。次に博多から山陽道、京都を経由して東京へという旅を計画しました。
ほぼ全線をJRで巡り、順不同でしたが計画通りに進みました。
東京の前には沖縄にも飛びましたので、四国を除く東京以西のほぼ全土を訪ねたことになります。
筆者は四国、信越、北陸、東北なども過去に仕事で巡っています。従って筆者が知らない日本は今のところ北海道だけになりました。
今回は欧州でよくやるリサーチ旅。換言すれば食べ歩きを兼ねた名所巡りのつもりでした。
そう言いつつ、しかし、神社訪問に主な関心を置きながら歩きました。
筆者は自らを「仏教系の無神論者」と規定しています。
そのことを再確認するのも今回旅の目的のひとつでした。
イタリア語で言うパスクア(復活祭・イースター)を今年は旅の途中の宮島で過ごしました。
パスクアはイエス・キリストの復活を寿ぐキリスト教最大の祭りです。
カトリックの総本山を抱くイタリアでは特に盛大に祝います。
キリスト教の祭典としては、その賑やかさと非キリスト教国を含む世界でも祝される祭礼、という意味で恐らくクリスマスが最大のものでしょう。だが、宗教的には復活祭が最も重要な行事です。
なぜならクリスマスはイエス・キリストの生誕を祝うイベントに過ぎませんが、復活祭は磔(はりつけ)にされたキリストが、「死から甦る」奇跡を讃える日だからです。
誕生は生あるものの誰にでも訪れる奇跡です。が、「死からの再生」という大奇跡は神の子であるキリストにしか起こり得ません。それを信じるか否かに関わらず、宗教的にどちらが重要な出来事であるかは明白です。
イエス・キリストの復活があったからこそキリスト教は完成した、とも言えます。キリスト教をキリスト教たらしめているのが、復活祭なのです。
今回帰国では筆者は神社仏閣を主に訪ね歩きました。
厳島神社で迎えた復活祭は感慨深かった、と言いたいところですが、筆者は何事もなかったように時間を過ごしました。実際に何事も起こりませんでした。
「仏教系無神論者」を自認する筆者はあらゆる宗教を受け入れます。教会で合掌して祈ることもあれば、十字は切らないながらも寺でイエス・キリストを思うことも辞さない。無論神殿でも。
しかし、ことしの復活祭では筆者はそれさえもしないで、厳島神社の明るい景色とスタイルと美意識に酔いしれただけでした。
宗教についてあれこれ思いを巡らすよりも、日本独自の文化をありのままに享けとめ喜ぼうと努力したのです。
その努力は幸い実を結びました。
official site:なかそね則のイタリア通信