毎年4月25日はイタリアの終戦記念日です。イタリアでは解放記念日と呼ばれます。
イタリアの終戦はムッソリーニのファシズムとナチスドイツからの解放でもありました。だから終戦ではなく「解放」記念日なのです。
日独伊三国同盟で結ばれていたドイツとイタリアは大戦中の1943年に仲たがいしました。日独伊3国同盟はその時点で事実上崩壊し、独伊は敵同士になりました。
イタリアは日独と歩調を合わせて第2次世界大戦を戦いましたが、途中で状況が変わってナチスドイツに立ち向かう勢力になったのです。
言葉を替えればイタリアは、開戦後しばらくはナチスと同じ穴のムジナでしたが、途中でナチスの圧迫に苦しむ被害者になっていきました。
ナチスドイツへの民衆の抵抗運動は、1943年から2年後の終戦まで激化の一途をたどり、それに伴ってナチスによるイタリア国民への弾圧も加速していきました。
1945年4月、ドイツの傀儡政権・北イタリアのサロー共和国が崩壊。4月25日にはレジスタンスの拠点だったミラノも解放されて、イタリアはナチスドイツを放逐しました。
日独伊三国同盟で破綻したイタリアが日独と違ったのは、民衆が蜂起してファシズムを倒したことです。それは決して偶然ではありません。
ローマ帝国を有し、その崩壊後は都市国家ごとの多様性を重視してきたイタリアの「民主主義」が勝利したのです。むろんそこには連合軍の後押しがあったのは言うまでもありません。
イタリア共和国の最大最良の特徴は「多様性」です。
多様性は時には「混乱」や「不安定」と表裏一体のコンセプトです。イタリアが第2次大戦中一貫して混乱の様相を呈しながらも、民衆の蜂起によってファシズムとナチズムを放逐したのはすばらしい歴史です。
イタリアは大戦後、一貫してファシズムとナチズムからの「解放」の日を誇り盛大に祝ってきました。
ことしの終戦記念日は、しかし、いつもと少し違います。極右とさえ呼ばれる政党が連立を組んで政権を維持しているからです。
イタリア初の女性トップ・ジョルジャ・メローニ首相は、ファシスト党の流れを汲む「イタリアの同胞」の党首です。
彼女は国内外のリベラル勢力からファシズムと完全決別するように迫られていますが、未だに明確には声明を出していません。
それは危険な兆候に見えなくもありません。だが筆者は日本の右翼勢力ほどにはイタリアの右翼政権を危惧しません。なぜなら彼らは陰に籠った日本右翼とは違い自らの立ち位置を明確に示して政治活動を行うからです。
またイタリアの政治状況は、第2次大戦の徹底総括をしないために戦争責任が曖昧になり、その結果過去の軍国主義の亡霊が跋扈してやまない日本とは違います。
極右と呼ばれるイタリアの政治勢力は、危険ではあるもののただちにかつてのファシストと同じ存在、と決めつけることはできません。なぜなら彼らもファシトの悪を十分に知っているからです。
だからこそ彼らは自身を極右と呼ぶことを避けます。極右はファシストに限りなく近いコンセプトです。
第2次大戦の阿鼻地獄を知悉している彼らが、かつてのファシストやナチスや軍国主義日本などと同じ破滅への道程に、おいそれとはまり込むとは思えません。
だが、それらの政治勢力を放っておくとやがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼします。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張します。
膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからでです。
トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が一気に姿を現したのが典型的な例です。
彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていきます。
そして奔流は世界の主流となってついには戦争へと突入します。そこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもありません。
したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければなりません。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきです。
イタリア初の女性首相メローニ氏は、ガラスの天井を打ち破った功績に続いて、イタリア右派がファシズムと決別する歴史的な宣言を出す機会も与えられています。
その幸運を捉え行使するかどうかで、彼女の歴史における立ち位置は大きく違うものになることでしょう。
official site:なかそね則のイタリア通信