スパレッティ監督の猛省がイタリアサッカーを救うかも、かい?

欧州ネーションズリーグで、イタリアは強豪フランスを3-1で下しました。

親善試合ではないガチの勝負での勝利。

しかも試合開始直後の13秒で1失点という大逆風を押し返して、確実に得点を重ねました。

対仏戦でのイタリアの勝利は2008年以来16年ぶり、敵地内(アウェー)での勝利はなんと1954年以来、70年ぶりです。

イタリアサッカーは4度目のワールドカップを制した2006年以降、ずっと不調続きでいます。

イタリアは2012年、落ちた偶像の天才プレーヤー、マルオ・バロテッリがまだ輝いていた頃に欧州カップの決勝戦まで進みましたが、圧倒的強さを誇っていたスペインに4-0とコテンパンにやられました。

屈辱的な敗北を喫したのは、負のスパイラルに入っていたイタリアが「まぐれ」で決勝まで進んだからだ、と筆者は勝手に解釈しました。

不調の波は寄せ続け、イタリアは2018年、2022年と2大会連続でワールドカップの出場権さえを逃しました。

2021年にはコロナ禍で開催が1年遅れた欧州選手権を制しました。だが、直後に同じ監督がほぼ似た布陣で戦ったワールドカップ予選でモタつきました。

それはイタリアが、やはり絶不調の泥沼から抜け出していないことを示していました。

ことし6月のビッグイベント、再びの欧州選手権でイタリアがまたもや空中分解したことを受けて、スパレッティ新監督は厳しい自責の念を繰り返し口にし自己総括を続けました。

そして最後には選手は戦術の型に嵌められることなく自由でなければならない、とイタリアの伝統的なスキーム絶対論まで否定して昨晩の試合に臨みました。そして見事に勝利しました。

それがイタリアの復活の兆しなのかどうかは、ネーションズリーグでのイタリアの今後の戦いぶりを見なければなりません。

だが誠実な言葉と行動でイタリアサッカーの歪み を指摘して、果敢に改造に乗り出そうとするスパレッティ監督の姿勢は大いに評価できます。

2020年(2021年開催)欧州カップで優勝したマンチーニ前監督も、精力的にチームの改造を進めました。だがそれは、いわば目の前の試合を制するためだけの改造に過ぎませんでした。

片やスパレッティ監督は、大局的な立場でイタリアサッカーの抜本的な改革を目指しているように見えます。頼もしい限りです。

今後も紆余曲折はあるでしょうが、イタリアサッカーは、かつての強豪チームに戻るべく確実な道を歩みだしているようにも見えます。




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ワタシ演歌の味方です

リスボンで聴いたファドは味わい深いものでした。それを聴きつつ演歌を思ったのは、両者には通底するものがある、と感じたからです。

さて、ならば演歌は好きかと誰かに問われたなら、筆者は「好きだが嫌い」というふうに答えるでしょう。

嫌いというのは、積極的に嫌いというよりも、いわば「無関心である」ということです。演歌はあまり聴くほうではありません。聴きもしないのに嫌いにはなれません。

ところが、帰国した際に行合うカラオケの場では、どちらかと言えば演歌を多く歌います。なので、「じゃ、演歌好きじゃん」と言われても返す言葉はありません。

演歌に接するときの筆者の気持ちは複雑で態度はいつも煮え切らない。その屈折した心理は、かつてシャンソンの淡谷のり子とその仲間が唱えた、演歌見下し論にも似た心象風景のようです。

淡谷のり子ほかの歌手が戦後、演歌の歌唱技術が西洋音楽のそれではないからといって毛嫌いし、「演歌撲滅運動」まで言い立てたのは行き過ぎでした。

歌は心が全てです。歌唱技術を含むあらゆる方法論は、歌の心を支える道具に過ぎません。演歌の心を無視して技術論のみでこれを否定しようとするのは笑止です。

筆者は演歌も「(自分が感じる)良い歌」は好きです。むしろ大好きです。

しかしそれはロックやジャズやポップスは言うまでもなく、クラシックや島唄や民謡に至るまでの全ての音楽に対する自分の立ち位置です。

筆者はあらゆるジャンルの音楽を聴きます。そこには常に筆者にとってのほんの一握りの面白い歌と膨大な数の退屈な楽曲が存在します。演歌の大半がつまらないのもそういう現実の一環です。

日本の今の音楽シーンに疎い筆者は、大晦日のNHK紅白歌合戦を見てその年のヒット曲や流行歌を知る、ということがほとんどです。

ほんの一例を挙げれば、Perfume、いきものがかり、ゴルデンボンバー、きゃりーぱみゅぱみゅ、混成(?)AKB48やRADIO FISHや桐谷健太、斉藤和義など。

筆者は彼らを紅白歌合戦で初めて見て聴き、「ほう、いいね」と思いそれ以後も機会があると気をつけて見たり聞いたりしたくなるアーティストになりました。

その流れの中でこんなこともありました。たまたま録画しておいた紅白での斉藤和義「やさしくなりたい」を、筆者の2人の息子(ほぼ100%イタリア人だが日本人でもある)に見せました。

すると日本の歌にはほとんど興味のない2人が聴くや否や「すごい」と感心し、イタリア人の妻も「面白い」と喜びました。それもこれも紅白歌合戦のおかげです。

最近の紅白でも印象的な歌手と歌に出会いました。列挙すると:ミレイ、あいみょん、Yoasobi、藤井風などです。

Yoasobiは何か新しい楽曲を発表していないかとネットを訪ねたりもするほどです。

筆者は何の気取りも意気込みもなく、Yoasobi という2人組みの音楽を面白いと感じます。Shakiraの歌に心を揺さぶられるように彼らの楽曲をひどく心地好いと感じるのです。

ちなみに演歌を含む日本の歌にも関心がある妻は、Yoasobiには無反応です。

話がそれました。

膨大な量の演歌と演歌歌手のうち、数少ない筆者の好みは何かと言えば、先ず鳥羽一郎です。

筆者が演歌を初めてしっかりと聴いたのは、鳥羽一郎が歌う「別れの一本杉」でした。少し大げさに言えば筆者はその体験で演歌に目覚めました。

1992年、NHKが欧州で日本語放送JSTVを開始。それから数年後にJSTVで観た歌番組においてのことでした。

初恋らしい娘の思い出を抱いて上京した男が、寒い空を見上げて娘と故郷を思う。歌は思い出の淡い喜びと同時に悲哀をからめて描破しています。

「別れの一本杉」のメロディーはなんとなく聞き知っていました。タイトルもうろ覚えに分かっていたようです。

それは船村徹作曲、春日八郎が歌う名作ですが、そこで披露された鳥羽一郎の唄いは、完全に「鳥羽節」に昇華していて筆者の心の琴線に触れました。軽い衝撃を覚えたほどです。

筆者は時間節約のために歌番組を含むJSTVの多くの番組を録画して早回しで見たりします。たまたまその場面も録画していたので、クラシック音楽が好きなイタリア人の妻に聞かせました。

妻も良い歌だと太鼓判を押しました。以来彼女は、鳥羽一郎という名前はいつまでたっても覚えないのに、彼を「Il Pescatore(ザ漁師)」と呼んで面白がっています。

歌唱中は顔つきから心まで男一匹漁師になりきって、その純朴な心意気であらゆる歌を鳥羽節に染め抜く鳥羽一郎は、筆者たち夫婦のアイドルなのです。

筆者は、お、と感じた演歌をよく妻にも聞かせます。

妻と筆者は同い年です。1970年代の終わりに初めてロンドンで出会った際、遠いイタリアと日本生まれながら、思春期には2人とも米英が中心の同じ音楽も聞いて育っていたことを知りました。

そのせいかどうか、筆者と妻は割と似たような音楽を好む傾向があります。共に生きるようになると、妻は日本の歌にも興味を持つようになりました。

妻は演歌に関しては、初めは引くという感じで嫌っていました。その妻が、鳥羽一郎の「別れの一本杉」を聴いて心を惹かれる様子は感慨深いものでした。

筆者の好みでは鳥羽一郎のほかには北国の春 望郷酒場 の千昌夫、雪国 酒よ 酔歌などの吉幾三がいい。

少し若手では、恋の手本 スポットライト 唇スカーレットなどの山内惠介が好みです。

亡くなった歌手では、天才で大御所の美空ひばりと、泣き節の島倉千代子、舟唄の八代亜紀がいい。

筆者は東京ロマンチカの三条正人も好きです。彼の絶叫調の泣き唱法は味わい深い三条節になっていると思います。だが残念ながら妻は、三条の歌声はキモイという意見です。

この際ですから知っているだけの演歌や演歌歌手についても思うところを述べておきます。興味のない歌手はひとことで言えば全員が「類型的」ということですが、それぞれの類型の印象は:

石川さゆり:見どころは津軽海峡冬景色だけ。だが津軽海峡冬景色は誰が歌っても感動的です。「天城越え」の最後に見せる泣き、追いすがるかのような下手な演技は噴飯もの。演技ではなく歌でよろめき、よろめかせてほしいものです。 

丘みどり:最初のころは八代亜紀の後継者現る、と期待しましたが力み過ぎて失速しました。歌は上手いのですから自然体になるのを期待したいと思います。 

大月みやこ:大月節は泣かせます。抜群の表現力。しかし年齢と共に大げさになっていった語尾のビブラートが全てを台無しにします。

五木ひろし:ただ一言。歌が上手すぎてつまらない。 

坂本冬美:「夜桜お七」以外は月並みが歩いているように見えます。 

前川清&クールファイブ:グループ時代の前川の絶叫節は面白かった。が、1人になってからは平均以下の歌い手になりました。 

美川憲一:キャラは抜群に面白い。歌も「お金をちょうだい」のように滑稽感あふれるシリアスな人生歌がすばらしい。唱法も味わいがありますが、残念ながら美川節と呼べるほどの上手さはなく従って凄さもない。

島津亜矢:圧倒的な歌唱力。もっと軽い流行歌がほしい。 

小林幸子:美空ひばり系ですが美空ひばりには足元にも及ばない。ひばりの爪の垢を煎じて飲んでも器が違いますから無意味でしょう。 

伍代夏子:体系容姿は筆者の好み。お近づきになってみたいものですが、歌を聴きたいとは思いません。無個性で退屈な歌唱。 

藤あや子:美人ぶって、またある種の人々の目には実際に美人なんでしょうが、美人を意識した踊りっぽいパファーマンスが白けます。少しも色っぽくない。それどころか美しくさえない。歌唱力も並以下。 

市川由紀乃:大女ながらやさしい声、また性格も良いようですが、歌手なんですから雑音ではなく歌を聞かせてくれと言いたい。 

都はるみ:古いなぁ。 

天童よしみ:美空ひばりが憧れで目標らしい。しかし、逆立ちしても無理。陳腐。 

長山洋子:老アイドル歌手として再デビューしたほうがまだいい。  

香西かおり:美人でさえないのになぜかいい女のつもりで自分だけが気持ちよがって唄うところがキモイ。歌は歌詞の端、あるいは語尾を飲み込んで発音さえよく聞こえません。その意味では素人以下の歌唱力。 

田川寿美:香西かおりに比較すると1000倍も歌は上手く抒情も憂いも深みもありますが、それは飽くまでも香西に較べたら、であって凡下の部類。しかし「哀愁港」などを聴くと味があるので要チェック。

三山ひろし:若い老人。上手い歌うたいだが、なにしろ古くさい。スタイルがうざい。 

山川豊:ソフトに歌いたがるが似合わない。つまらない。 

細川たかし:絶叫魔  

石原詢子:ホントに歌手?

藤圭子:真の歌姫だが、頭の中は空っぽであることが所作で分かる。歌もたまたま上手いだけで人間の深みが無い、と知れるとがっかり。歌まで浅薄に聞こえるようです。  

山崎ハコ:暗さは演歌に通じるので気になりませんが、多くの歌が似通って聞こえるのが落第。  

松原健之:筆者の好きな声ですが、妻が気持ち悪がっているからきっとキモイのでしょう。 

これらの印象や悪口は、全てJSTVが放送したNHKの音楽番組を見、聞いた体験に基づいています。

筆者は冒頭で演歌はあまり聴かない、とことわりました。だがこうして見ると演歌三昧です。

しかもいま言及したように全てNHKの音楽番組を通しての知見ですから、NHKには大いに感謝しなければならない、と改めて思います。

 

 

 

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無意識の差別大国ニッポンを憂う

パリ5輪で金メダルに輝いたイタリア女子バレーボールのスーパースター、パオラ・エゴヌの両親はナイジェリア人移民です。エゴヌ自身はイタリア生まれのイタリア育ち。れっきとしたイタリア人です。

ところが彼女は、肌の色が黒いことを理由に「お前は本当にイタリア人か」とSNS上などで侮辱され続けてきました。

彼女は人種差別に抗議してあらゆる機会を捉えて声を挙げ、一度はイタリアナショナルチームを離脱する意思表示さえしました。

過去のエゴヌの闘いは徐々に功を奏して、金メダル獲得の翌日には、MVPにまでなった彼女の活躍を称賛するストリートアートがローマの建物の壁に描かれました。

ところがその絵は、ネトウヨヘイト系とおぼしき人種差別主義者の手によって人物の肌の色が白く塗り替えられ、これがイタリア人だ、との落書きも付け加えられて社会問題になりました。

端的に言っておかなければなりません。

イタリアは、ロシアを含む東欧を除いた欧州の、いわゆる西欧先進国の中では人種差別意識がやや強い国の一つです。

自国を代表して活躍する有名なスポーツ選手を、差別意識からあからさまに侮辱したエゴヌ選手のようなエピソードは、例えば英独仏をはじめとする❝西側欧州❞の先進国ではもはや考えられない事態です。

❝西側欧州❞の国々に人種差別がない、という意味では断じてありません。そこにも差別はあり差別ゆえの事件や争いや摩擦も絶えません。

だが同時にイタリアを含む❝西側欧州❞の国々は、たゆまない人権向上への戦いを続けて、有能な有色人種の国民を真に自国民と見做すのが当たり前、という地点にまでたどり着いてはいます。

移民などの一般の有色人種への偏見差別は依然として強いものの、突出した能力を持つアフリカ中東またアジア系の人々は各界で多く活躍しています。その最たるものが英国初の有色人種トップとなったインド系のスナク前首相であり、パキスタン系のカーン・ロンドン市長などです。

スポーツ界に目を向ければ、フランスサッカーのエムバペを筆頭に、アフリカ系ほかの多くの有色人種の選手が、それぞれの国を代表して戦い「白人の」同胞にも愛され尊敬されています。

そこでは、どの国にも存在するネトウヨヘイト系差別排外主義の白痴族が、隙あらば攻撃しようと執拗にうごめきますが、「欧州の良心」に目覚めた人々の力によって彼らの横暴はある程度抑え込まれています。

イタリアもその例に洩れません。そうではあるのですが、しかし、かつての自由都市国家メンタリティーが担保する多様性重視の強い風潮がある同国では、極論者の存在権も認めようとするモメンタムが働きます。

そして残念ながら、エゴヌ選手を否定侮辱するネトウヨヘイト系の狐憑きたちも、その存在が認められる極論者の一なのです。

そうしたイタリア社会独特のパラダイムに加えて、国民の、特にイタリア人男性のいわば幼稚な精神性も影響力が大きい。いつまでたってもマンマ(おっかさん)から独立できない彼らは、子供に似て克己心が弱く、思ったことをすぐに口に出してしまう傾向があります。

成熟した欧州の文明国とは思えないようなエゴヌ選手へのあからさまな罵詈雑言は、そうした精神性にもルーツの一端があります。

実際のところ差別主義者のイタリア人は、差別主義者の英独仏ほかの国民とちょうど同じ数だけいるに過ぎないのですが、彼らが子供のように無邪気に差別心を吐露する分、数が多いように見えてしまう点は指摘しておきたいと思います。

さて

そうしたイタリアの人種差別を憂う時、実は筆者は常に日本の人種差別意識の重症を考え続けています。

そのことについて話を進める前に、先ず結論を言っておきます。

日本の人種差別はイタリアのそれよりも深刻です。人種差別を意識していない国民が多いからです。そして無自覚の人種差別は意図的なそれよりもはるかに質(たち)が悪い。なぜでしょうか。

差別が意識されない社会では、差別が存在しないことになり、被差別者が幾ら声を上げても差別は永遠に解消されません。差別をする側には「差別が存在しない」からです。存在しないものは無くしようがありません。

一方、差別が認識されている社会では、被差別者や第三者の人々が差別をするな、と声を挙げ闘い続ければ、たとえ差別をする側のさらなる抑圧や強権支配があったとしても、いつかその差別が是正される可能性があります。なぜなら、何はともあれ差別はそこにある、と誰もが認めているからです。

その意味でも、人種差別の存在に気づかない国民が多い日本は、極めて危険だと言わざるを得ません。

大半の日本人は自らが人種差別主義者であることに気づいていません。それどころか、人種差別とは何であるかということさえ理解していない場合が多いように見えます。

それはほとんどの日本人の生活圏の中に外国人や移民がいないことが原因です。ひとことで言えば、日本人は外国人や移民と付き合うことに慣れていないのです。

それでいながら、あるいはそれゆえに日本には、移民また外国人に対してひどく寛大であるかのような文化が生まれつつあります。主にテレビやネット上に現れる外国人や移民タレントの多さがそれを物語ります。

日本のテレビ番組の旅番組やバラエティショーなどでは、あらゆる国からやってきた白人や黒人に始まる「外国人」が出演するケースが目立ちます。それらはあたかも日本人の平等意識から来る好ましい情景のように見えます。

だがそれらの「外国人」を起用する制作者やスポンサー、またその番組を観る視聴者に外国人への差別心がないとはとうてい考えられません。それは秘匿されて意識されないだけの話です。

先に触れたように国民が日常的に外国人と接触する機会は日本ではまだ少ない。人々がテレビ番組やネット上で目にし接する外国人は、現実ではなくバーチャル世界の住人です。視聴者は彼らに対してはいくらでも寛大になれます。

視聴者1人ひとりの生活圏内で実際に接触する移民や外国人が増えたときに、彼らと対等に付き合えるということが真の受け入れであり差別をしないということです。それは今の日本では実証できません。

いや、むしろ逆に、差別をする者が多いと実証されています。中国朝鮮系の人々や日系ブラジル人などが多く住む地域での、地元民との摩擦や混乱やいざこざの多さを見ればそれが分かります。

テレビ番組の視聴者つまり日本国民は、出演している特にアメリカ系が多い白人や黒人を、自らと完全に同等の人間であり隣人だとは思っていません。

かれらは飽くまでも「ガイジン」であって日本人と寸分違わない感情や考えを持つ者ではありません。言葉を替えれば徹頭徹尾の「客人」であって自らの「隣人」ではない、と意識的にもまた無意識下でも考えています。

そのこと自体が差別であり、その意識から派生する不快な多くの事象もまた大いなる差別です。もっともそれらのガイジンは、バーチャル世界からこちら側に現実移動してこない限り、視聴者と摩擦を起こすことはありません。

従って差別意識から派生する「不快な多くの事象」も今のところ多くは発生していません。それらの事実も、あたかも日本には人種差別がないかのような錯覚を助長します。

差別はほとんどの場合他者を自らよりも劣る存在、とみなすことです。ところがに日本にはその逆の心情に基づく差別も歴然として存在し、しかも社会の重要な構成部分になっています。

それが白人種への劣等感ゆえに生まれる、欧米人への行き過ぎた親切心です。彼らを見上げる裏返しの差別は、他者を見下す差別に負けるとも劣らない深刻な心の病です。

日本のテレビには白人の大学教授や白人のテレビプロデュサー、果てはネトウヨヘイト系差別主義者以外の何物でもない白人の弁護士などが大きな顔でのさばっています。その光景は顔をそむけたくなるくらいに醜い。

日本人は対等を装うにしろ見下しまた見上げるにしろ、それらのタレントを決して自らと同じ人間とは見なしていません。かれらはどこまで行っても「白人の異人」であり「黒人のまたアジア人の異人」です。断じて現実の「隣人」ではないのです。

ところが

上に見、下に見つつ深層心理では徹底して外国人を避ける日本人の奇怪で危険な人種差別意識を指摘した上で、実は筆者はまた次のような矛盾した正反対の感慨も抱かずにはいられません。

人が人種差別にからめとられるのは、その人が差別している対象を知らないからです。そして「知らないこと」とは要するに、差別している人物が身に纏ってその人となりを形作っている独特の文化のことです。

文化とは国や地域や民族から派生する、言語や習慣や知恵や哲学や教養や美術や祭礼等々の精神活動と生活全般のことです。

それは一つ一つが特殊なものであり、多くの場合は閉鎖的でもあり、時にはその文化圏外の人間には理解不可能な「化け物」ようなものでさえあります。

文化がなぜ化け物なのかというと、文化がその文化を共有する人々以外の人間にとっては、異(い)なるものであり、不可解なものであり、時には怖いものでさえあるからです。

そして人がある一つの文化を怖いと感じるのは、その人が対象になっている文化を知らないか、理解しようとしないか、あるいは理解できないからです。だから文化は容易に偏見や差別を呼び、その温床にもなります。

差別は、差別者が被差別者と近づきになり、かれらが身に纏っている文化を知ることで解消されます。文化を知ることで恐怖心が無くなり、従って差別心も徐々になくなっていくのです。

(差別している)他者を知るのに手っ取り早い方法は、対象者と物理的に近づきになることです。実際に近づき知り合いになれば、その人のことが理解できます。自分と同じく喜怒哀楽に翻弄され家族を愛し人生を懸命に生きている「普通の人」だと分かる。そうやって差別解消への第一歩が踏み出されます。

その意味で日本のテレビやネット上で展開されている「エセ平等主義」の動きは、疑似的とは言えとにもかくにも被差別者つまり移民や外国人との接触を強制するものである分、或いは真の人種差別解消へ向けての重要なポロセスになり得るかもしれない、と思ったりもするのです。

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ファド演歌の小粋

ポルトガル旅行中のリスボンでは観光と食事に加えてファドも堪能しました。

ファドは日本ではポルトガルの民族歌謡と規定されることが多い。筆者はそれをポルトガルの演歌と呼んでいます。ファドだけではありません。**

カンツォーネはイタリアの演歌、同じようにシャンソンはフランスの演歌、というのが筆者の考えです。

日本では、いわばプリミティブラップとでも呼びたくなる演説歌の演歌が、「船頭小唄」を得て今の演歌になりました。

それとは別に日本では、歌謡曲やニューミュジック、またJポップなど総称される新しい歌も生まれ続けました。

民謡や子守歌はさておき、「船頭小唄」からYoasobiの「群青」や「勇者」までの日本の歌謡の間には、何光年もの隔たりと形容してもいい違いがあります。

その流れは1900年代半ば過ぎ頃までのカンツォーネとシャンソンの場合も同じだ。

イタリアではデ・アンドレやピノ・ダニエレなどのシンガーソングライターや、英米のロックやポップスの影響を受けた多くのアーチストがカンツォーネを激変させました。

シャンソンの場合も良く似ています。日本人が考える1960年頃までのいわばオーソドックスなシャンソンは、ミッシェル・ポルナレフやシルヴィ・バルタン、またフランソワーズ・アルディなどの登場で大きく変わりました。

筆者はそれらの新しい歌謡とは違う既存のシャンソンやカンツォーネを、大衆が愛する歌という括りで演歌と呼ぶのです。

ポルトガルは音楽文化の豊かさにおいて、日本は言うまでもなく今例に出した欧州の2国に引けを取りません。つまり日仏伊と同様に、伝統的なファドとは別に新しい歌もまた生まれています。

日本の演歌では、男女間のやるせない愛念や悲恋の情、望郷また離愁の切なさ、夫婦の情愛、母への思慕、家族愛、義理人情の悲壮、酒場の秋愁などの大衆の心情が、しみじみと織り込まれます。

古い、だが言うなれば「正統派」シャンソンやカンツォーネでも、恋の喜びや悲しみ、人生の憂いと歓喜また人情の機微ややるせなさが切々と歌われます。それらはヨナ抜き音階の演歌とは形貌が異なります。だがその心霊はことごとく同じです。

さて、ファドです。

カンツォーネもシャンソンも単純に「歌」という意味です。子守唄も民謡も歌謡曲もロックもポップスも、イタリア語で歌われる限り全てカンツォーネであり、フランス語の場合はシャンソンです。

ところがファドは、単なる歌ではなく運命や宿命という意味の言葉です。そのことからして既に、哀情にじむ庶民の心の叫びという響きが伝わってきます。

ファドは憐情や恋心、また郷愁や人生の悲しみを歌って大衆に愛される歌謡、という意味でシャンソンやカンツォーネ同様に筆者の中では演歌なのですが、フランスやイタリアの演歌とは違って、より日本の演歌に近い「演歌」と感じます。

演歌ですから、決まり切った歌詞や情念を似通ったメロディーに乗せて歌う凡庸さもあります。だがその中には心に染み入り魂に突き刺さる歌もまた多くあります

リスボンでは下町のバイロ・アルト地区で、ファドの店をハシゴして聞きほれました。

一軒の店では老いた男性歌手が切々と、だがどことなく都会っぽい雰囲気が漂う声で歌っていました。

4軒をハシゴしましたが、結局その老歌手の歌声がもっとも心に残りました。

ファドは、ファドの女王とも歌姫とも称されるアマリア・ロドリゲスによって世界中に認知されました。

彼女もいいですが、個人的には筆者は、フリオ・イグレシアスっぽい甘い声ながら実直さもにじみ出るカルロス・ド・カルモが好きです。

ファドは女性歌手の勢いが強い印象を与える芸能ですが、たまたま筆者は録音でも実況でも、男性歌手の歌声に惹かれます。

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イングランドサッカーが面白くない理由がまた見つかった

イングランドサッカーのゲーム運びの特徴は敢えて言えば、直線的な動き、長い高い空中パス、スポーツ一辺倒で遊び心がゼロのゲーム展開、予測しやすいアクションつまり創造性に欠ける陳腐なテクニック、そしてまさにそれ故に硬直し竦んでしまう悲しいプシュケー、といったところです。

そんなイングランドは2024欧州選手権のオランダとの準決勝戦で、相手陣内のペナルティエリア外で、ひんぱんに横に展開する戦法も見せました。

両ウイングにはパスが通りやすい。なぜならそこはゴールエリアから遠いため、相手守備陣はしゃかりきになって防御の壁を固めていない。

イングランドはそこからセンタリング、つまり相手守備陣の頭越しにボールをセンター(ゴール前)に送り飛ばして、主にヘディングでゴールを狙う試合運びです。

パスの通りにくいゴール前のエリアを避けるのは、横からの攻撃を仕掛けるためですが、それは裏返せば、相手が厳重に防御を固めている中央部を突破する勇気や技術がないことの証でもあります。

サッカーはゲームの9割以上が足で成されるスポーツです。ヘディングはその補佐のためにあります。ヘディングシュートも然り。

だがヘディングシュートは、キックに比べて威力が脆弱でスピードも遅くかつ不正確。重要な武器ですが、できれば足を使っての中央突破攻撃が望ましいのです。

また、イングランドはサイドから逆サイドへのパスもひんぱんに行いました。それはゲームの流れを変える戦術のように見られることも多い。が、実はつまらないアクションです。

長いボールで安易にパスをつなぐ外道術であるばかりではなく、そこからゴール方向に向けて新たに布陣を立て直さなければならないムダな2重仕事で、非創造的な動きです。

イングランドは2大会連続で決勝に進出しました。史上初の快挙ですが、優勝できるかどうかはむろん分かりません。筆者は8-2の割り合いでスペインの勝ちを予想します。

もしもイングランドが優勝するなら、それは彼らがついに欧州と南米の強豪国の創造性を学んだ結果、と考えたいが、現実は違います。

それは単なる「まぐれ」に過ぎないとあらかじめ言っておきたい。ここまでのイングランドの戦いぶりから導き出した筆者の結論です。

イングランドは依然として、サッカーが「遊びと化かし合いがふんだんに詰めこまれたゲーム」であり、ただ「ひたすらのスポーツ」ではない、ということを理解していないと思います。

イングランドは十中八九スペインに負けるでしょうが、運よく勝ちを収めた場合は、そこから再び60年も70年も、もしかするともっと長く勝てない時間がやってくるでしょう。

むろん彼らが退屈な❝イングランドメンタリティー❞と戦術を捨てて、遊戯の心に徹した「ラテンスタイル」のサッカーに変貌できる日が来ればその限りではありませんが。

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フレンチはポルトガル料理も見習ったほうがいい

ポルトガル旅行で料理を堪能しました。

言わずと知れた各種バカラ(バカリャウ・鱈の塩漬けの干物 )、タコ、イワシ、子豚の丸焼き、海鮮鍋のカタプラーナ等々が素晴らしかった。

バカラのレシピは数限りなくあり、食べたどれもが美味でした。

イタリアにもバカラ料理はあります。秀逸なのはヴィチェンツァの郷土料理ですが、ポルトガルのバカラは、どこで食べてもヴィチェンツァの「バカラ・アッラ・ヴィチェンティーナ」並に美味でした。

タコもよく食べられます。どこの店もレシピを研ぎ澄ませています。

ポルトで食べた一皿は、タコの吸盤を剥ぎ落として薄いソースで柔らかく煮込でいましたた。絶妙な味わいでした。

もっとも驚いたのはイワシ料理です。

マリネと焼きレシピが主体ですが、多く食べたのは後者。単純な炭火焼なのに店ごとに微妙に味が違っていました。

北のポルトから最南端のファロまで、全国でイワシが盛んに食べられます。ワタも食べることを前提に焼かれていて、いくら食べても飽きませんでした。

ポルトで食べた一皿は、基本の塩に加えて、極く薄味のソースが肉に染みこんでいました。素朴ですがほとんど玄妙な風味を感じました。

あるいはソースではなく、添えられた野菜の煮汁がからまっているだけかもしれませんが、いずれにしてもそれは、計算され研究しつくした結果生まれた相性に違いありません。

イワシという質素な素材にかけるポルトガルのシェフたちの意気に感嘆しました。

筆者は実際に自分が食べ歩いた中での、7つの海ならぬ世界の7大料理という括りを持っています。

それは美味しい順に、「日本料理、イタリア料理、中華料理、トルコ料理、スペイン料理、ギリシャ料理、フランス料理」です。

ところが今回ポルトガル料理を本場で食べ歩いた結果、7大料理は8大料理へと発展しました。

ポルトガル料理が世界四天王料理の日本、イタリア、中華、トルコの次にランクインしたのです。

結果、またまたフレンチが順位を落として、世界の美味しい料理ランキングは「1.日本料理、2.イタリア料理、3.中華料理、4.トルコ料理、5.ポルトガル料理、6.スペイン料理、7.ギリシャ料理、8.フランス料理」となりました。

フレンチは、料理の本質は素材であって、ソースはそれを引き立てるための脇役に過ぎないというコンセプトを、理屈ではなく骨の髄まで染み入る因果として理解しない限り、永遠にランクを落とし続けそうです。

いわば、

ポルトガルのシェフたちは素朴なイワシ料理に命をかけています。

日本の板前は素材そのものの味に命をかけています。

ところが、

フレンチのシェフたちは相も変わらずソースに命をかけている。。ように見えます。

それはそれですばらしいことだし面白い。

でも、やはり何かが違うと思うのです。

 

 

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ヴァスコ・ダ・ガマよりすごいクリロナ

アラブ支配、大航海時代、エスタド・ノヴォ体制とサラザール独裁、カーネーション革命、そしてポルトガル料理を思いつつ、ポルトガル紀行を始めました。

基本的にはポルト、リスボン、ラゴス(最南端アルガルヴェ地方)と移動する旅。

ポルトからリスボンに入った日に、4年ごとに開催されるサッカーの欧州選手権が始まりました。旅の興奮に紛れてそのことをすっかり忘れていました。

欧州選手権はW杯の中間年に行われるW杯に匹敵する大イベントです。

W杯とは違って強豪の南米勢が出場しませんが、サッカー後進地域のアジア、アフリカ、北米などが参加しない分、ワールドカップより面白いという考え方もあります。

筆者もややそれに近い見方です。が同時に、ブラジルやアルゼンチンが参戦しないのはやはり少し物足りないとも感じます。そうはいうものの、強豪国がひしめく欧州杯はいつも見応えがあります。

サッカーの戦い方には国柄や国民気質が如実に現れます。それを理解するには、経済や金融や医学や工業技術などの理屈が詰まった脳ではなく、感性や情動が必要です。

感性また情動を頼りに各国の戦い方を見ると、サッカーのナショナルチームが、国民性を如実に体現する文化や人々の生きざまを背負っていることが分かります。

例えばサッカーの日本代表は11人編成の軍隊を髣髴とさせます。そのミニ軍隊は日本人の思想や動きや情感や生きざまを背負ってピッチを駆け巡ります。

そこに体現される日本人の思想とは、個よりも集団つまりチームを絶対と見なす全体主義です。

動きとは、プレーテクニックや戦術の劣勢を補おうとして、選手全員が脱兎の勢いで走り回ること。玉砕覚悟で、いわば竹槍攻撃を完遂します。つまり玉のように犬死にすることを至福とみなす精神の実践です。

生きざまとは、あらゆる論理的な思考を排して、いわば国家神道に殉じて自裁するようなことです。日の丸を背負い一丸となって驀進する。まさに全体主義。日本サッカーの憂鬱と煩わしさです。

国民性は、そのように良くも悪くもナショナルチームのプレースタイルや戦術や気構えに如実に現れて、試合展開を面白くします。むろんその逆の効果ももたらします。

もう少し煮詰めて、分かりやすい表現で言ってみます。

例えばドイツチームは個々人が組織のために動きます。イタリアチームは個人が前面に出てその集合体が組織になります。

言い換えれば個人技に優れているといわれるイタリアはそれを生かしながら組織立てて戦略を練り、組織力に優れているといわれるドイツはそれを機軸にして個人技を生かす戦略を立てます。

1980年前後のドイツが、ずば抜けた力を持つストライカー、ルンメニゲを中心に破壊力を発揮していた頃、ドイツチームは「ルンメニゲと10人のロボット」の集団と言われました。

これはドイツチームへの悪口のように聞こえますが、ある意味では組織力に優れた正確無比な戦いぶりを讃えた言葉でもあると思います。

同じ意味合いで1982年のワールドカップを制したイタリアチームを表現すると、「ゴールキーパーのゾフと10人の野生児」の集団とでもいうところでしょうか。

独創性を重視する国柄であるイタリアと、秩序を重視する国民性のドイツ。サッカーの戦い方にはそれぞれの国民性がよく出るのです。サッカーを観戦する醍醐味の一つはまさにそこにあります。

さらに言えば、イングランド(英国)チームはサッカーを徹頭徹尾スポーツと捉えて馬鹿正直に直線的に動きます。技術や戦略よりも身体的な強さや運動量に重きをおく、独特のプレースタイルです。

彼らにとってはサッカーは飽くまでも「スポーツ」であり「ゲームや遊び」ではありません。

しかし、世界で勝つためには運動能力はもちろん、やはり技術や戦略も重視し、且つ相手を出し抜くずるさ、つまり遊びやゲーム感覚を身につけることも大切です。

イングランドサッカーが、欧州のラテン系の国々やドイツ、また南米のブラジルやアルゼンチンなどに較べて弱く、且つ退屈なのはそれが大きな理由です。

もっとも時間の経過とともに各国の流儀は交錯し、融合して発展を遂げ、今ではあらゆるプレースタイルがどの国の動きにも見られるようになりました。それでも最終的にはやはり各国独自の持ち味が強く滲み出て来るから不思議なものです。

閑話休題。

ここポルトガルの天才プレーヤー、クリスティアーノ・ロナウドが、まだ代表選手として活躍していることを、ポルトガル旅行中テレビを介してはじめて知っておどろきました。

彼はマラドーナやペレ、また同時代人のメッシなどと並ぶ偉大な選手ですが、欧州のチームを出てサウジアラビアに移籍した時点で、もうポルトガルの代表チームでプレーすることはない、と筆者は思い込んでいました。

全盛期を過ぎた欧州や南米の選手が、主に金が目当てでアジアや中東のクラブに移籍することはよくあることです。

欧州で1、2を争う強豪チームであるタリアは、そういう選手に極めて厳しく、アジアやアメリカあるいは中東などに移籍した選手がナショナルチームに召集されることはありません。

キャリアのたそがれ時にいる彼らは、レベルの低いそれらの地域のリーグでプレーすることで、力量がさらに落ちると判断されるのです。

ロナウドは間もなく40歳。まだポルトガルチームの中心的存在でいられるのは、彼の力量がロートルになっても優れているからなのか、はたまたチームが弱いからなのか。その結果を見るのも楽しみです。

サッカー嫌いや関心のない人には分からないでしょうが、ロナウドはポルトガルを世界に知らしめたという意味では、同国の歴史的英雄であるヴァスコ・ダ・ガマを大きく凌ぐ存在です。その意味でも興味深い。

旅行中はなかなかテレビ観戦もできませんが、イタリアに帰ったらロナウドにも注目しつつ選手権の展開を追いかけ、しばらくはサッカー漬けの時間を過ごそうと思います。

 

 

 

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生き物語り~ヴィットガビの受難~

イラスト:© ザ・プランクス 

 

猟犬のヴィットガビは、呼吸がうまくできないので、とても苦しかった。

でも、飼い主の猟師の命令なので、瓦礫(がれき)の下にうずくまってじっとしていた。

ヴィットガビは文字通り息をころしてはいつくばっていた。息を詰めたのはあえてそうしたのではなかった。呼吸がほとんどできなかったのだ。

それでもヴィットガビはがまんした。がまんをするのは慣れていた。

生まれてから13年間ヴィットガビはいつもがまんをしてきた。

若い時は忍耐が足りずに少しさわいで・騒いで、飼い主にぶたれたりしたこともある。

が、年をとって動きが鈍くなったいまは、がまんをするのはたやすいことだった。思うように動けなければ、じっとしているしかないからだ。

ヴィットガビが生まれたヴァル・トロンピは、北イタリア有数の山岳地帯。

南アルプスに連なるロンバルディアの山々の緑と、澄んだ空の青と、多彩な花々の色がからみ合って輝き、はじけ、さんざめく。

自然の豊富なヴァル・トロンピア地方はまた、ハンティングのメッカでもある。

ヴィットガビは、生まれるとすぐに猟犬として訓練され、子犬のころから野山を駆けまわって飼い主の狩りの手伝いをしてきた。

だが、ここ数年は速く走って獲物を追いかけたり、主人が撃った獲物をうまく押さえこんだりするのが思うようにできなくなって、彼にしかられることが多くなった。

それでも、じっとがまんさえしていれば、主人の怒りはやがておさまって、すこしの食べ物ももらえた。

年老いたヴィットガビは、昔以上にがまんをすることで生きのびることをおぼえた。

今やヴィットガビにとって生きるとは、「我慢をすること」にほかならなかった。

ヴィットガビはいつものようにじっとがまんした。苦しくても、いつまでもがまんをした。

昼とも夜ともつかない時間が過ぎていった。

ヴィットガビはさらにがまんをした。

でも、ついにがまんができなくなった。

なぜなら、まったく呼吸ができなくなったのだ。

ヴィットガビは知らなかったが、彼が瓦礫の下にうずくまってから40時間が過ぎようとしていた。

ヴィットガビはひと声吠えた。

一度吠えると、堰を切ったように声が出て止まらなくなった。

ヴィットガビはもうがまんしなかった。

彼はひくく吠えつづけた。吠えることで呼吸困難からのがれようとした。

瓦礫の近くを通りかかった人がヴィットガビのうめき声に気づいた。驚愕した通行人はすぐさま警察に連絡を入れた。

駆けつけた2人の警官が、取るものもとりあえず素手で瓦礫を掘り起こしにかかった。通行人もあわてて手を貸した。

瓦礫を50センチほど掘り起こしたと、ガラクタにまみれてあえいでいる中型犬が見えた。

警官が助け出すと、ヴィットガビは安心したのか吠えるのを止めた。

ぐったりしている犬を警官は大急ぎで獣医の元に運んだ。

飼い主に生き埋めにされたヴィットガビは、そうやって九死に一生を得た。

動物虐待の罪でヴィットガビの飼い主は逮捕された。彼は警官にこう言い訳した。

「犬はもうてっきり死んだと思って埋めた・・」

と。

だが誰も彼の言葉を信じなかった。

なぜならヴィットガビは生きる喜びで輝いていた。与えられたたくさんの水を飲み干し、食事に飛びつき、われを忘れて食べて食べて食べまくって、たちまち元気になった。

あきらかに嘘をついている飼い主の男は、拘禁と多額の罰金刑に処せられた。

それでは納得しない者、特に動物愛護過激派の人々は、飼い主の男を生き埋めにしろと怒った。

だが男は生き埋めにされることはなく、新しい猟犬を手に入れてせっせと猟に出ては殺戮をくり返している。


 

 

 

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「時には娼婦のように」の革命的愉快

© ザ・プランクス

 

 

なかにし礼作詞の名曲「時には娼婦のように」は次のように綴られます。

『時には娼婦のように 淫らな女になりな 
真赤な口紅つけて 黒い靴下をはいて
大きく脚をひろげて 片眼をつぶってみせな 
人さし指で手まねき 私を誘っておくれ

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように たっぷり汗を流しな 
愛する私のために 悲しむ私のために
時には娼婦のように 下品な女になりな 
素敵と叫んでおくれ 大きな声を出しなよ

自分で乳房をつかみ 私に与えておくれ 
まるで乳呑み児のように むさぼりついてあげよう

バカバカしい人生より バカバカしいひとときが 
うれしい ム・・・・・

時には娼婦のように 何度も求めておくれ 
お前の愛する彼が 疲れて眠りつくまで』

この歌が発表された時、筆者は東京の大学の学生でした。歌詞の衝撃的な内容に文字通り目をみはりました。歌謡曲詞の革命だとさえ思いました。今もそう思っています。

「時には娼婦のように」について書いておこうと思い立ったのは、それが理由です。

かつて三島由紀夫は詩が書けないから小説を書くんだと言いました。詩とはそれほど卓越したものです。そして音楽とともに存在する歌詞もまた詩の一種です。

なかにし礼という作詞家は、阿久悠と共に一世を風靡しました。日本歌謡詞界の双璧として一時代に君臨しましたが、「時には娼婦のように」を生み出した分、なかにし礼の方が少し上かな、と筆者は考えています。それほどにこの歌詞はすごいと思います。

歌詞に限らず、あらゆる創造的な活動とは新しい発見であり発明です。新しい考え、新しい見方、新しい切り口、新しい哲学、新しい表現法などなど、これまで誰も思いつかなかったものを提示するのが創造です。

「時には娼婦のように」はそういう創造性にあふれた歌詞です。際どい言葉の数々を駆使しながらポルノにならず、「歌詞」という型枠を嵌められた「詞」でありながら、自由詩の大きさや凄みの域に達していると思います。

男の下賎な妄想である「昼は貞淑、夜は娼婦」という女の理想像を、歌謡曲という子供も女性たちも誰もが耳にする可能性のある普遍的な表現手段に乗せて、軽々とタブーを跨(また)ぎ越え世の中に広めてしまいました。

もう一方の天才・阿久悠は、名曲「津軽海峡冬景色」を

<上野発の夜行列車おりた時から 青森駅は雪の中~>

と始めて短い表現で一気に時間を飛び越え、東京の上野駅と青森駅を瞬時に結んでドラマを構築しました。よく知られた分析ですが、こちらもまたすごいので一応言及しておこうと思います。

作詞家なかにし礼はそのほかにも多くの創造をしましたが、新人の頃には「知りたくないの」という訳詞でも物議をかもしましたた。

エルビス・プレスリーも歌った英語の名曲「I really don’t want to know」を「あなたの過去など知りたくないの~」という名調子で始めたのですが、歌い手の菅原洋一が「過去」という語はよくないとゴネたといいます。

でも彼は信念を押し通して、そのおかげで今ある名訳詞が世の中に出回ることになりました。ヨカッタ。

筆者の考えでは、イタリアにも「なかにし礼」はいます。

ファブリツィオ・デ・アンドレというシンガーソングライターです。

彼は1999年に亡くなりましたが、歌詞でも音楽でも常に圧倒的な存在感を持っています。あえて日本の歌手にたとえれば、小椋佳と井上陽水を合わせて、さらに国民的歌手に作り上げた感じ、とでも言えるでしょうか。

実力人気ともに超がつく名歌手、名作詞家、名作曲家です。

デ・アンドレもよく娼婦の歌を作り歌いました。彼は娼婦に対してとても親和的な考えを持っていました。娼婦を不幸な汚れた存在とは見ずに、明るく生命力にあふれた存在として描きました。

娼婦や娼婦に似せた女を歌うタブーは、デ・アンドレの活動期の頃のイタリアには存在しませんでした。従って禁忌を勇敢に破って世に出た「時には娼婦のように」と、デアンドレの歌を同列には論じられないかもしれません。

しかし、筆者はどうしても両者の「歌詞」の一方を聞くたびに、片方を思い起こしてしまいます。

 

 

 

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パリジャンが素直になるとフレンチは不味くてもパリの高感度は爆伸する

60歳代の間に、つまり体が無理なく動き回れる今のうちに、欧州内の目的の街を急いで、だが、あくまでもゆるりと巡る計画を立てました。

急ぐのは若くないから。ゆるりと行こうとするのは、仕事ではなく周遊と見聞の遊び旅だからです。

その一環として先ずパリに出かけました。

ことしは海を目指す恒例のバカンス旅とは別に、6月にはポルトガルのほぼ全土。次にプラハ、アムステルダムと巡覧する予定も立てています。

また4月に計画して流れたナポリ、ローマ回遊も早めに再挑戦しておきたい。。など、など、きりがありません。

むろん60歳代が過ぎても体が丈夫でさえあれば旅にはひんぱんに出るつもりです。ほとんど仕事がからまない旅行は飽きることがなく、ひたすら楽しい。

これまで仕事で数え切れない土地を訪ねました。それらの全てを、こんどは仕事抜きで訪問したい。しかし、それはおそらく無理でしょう。数が多すぎます。

目的地を絞りにしぼって、行き着くところまで訪ね歩こうと考えています。

パリの主だった観光スポットは過去にほぼ全て巡りました。

今回は、「フランス料理を食べたい」ではなく、「フランス料理を好きになりたいのでフランス料理を食べ歩く」、というコンセプトでパリに出向きました。

多くの人に呆れられそうでづが、筆者はフランス料理を高く評価しません。言葉を変えればフランス料理は筆者の好みに合わない。

世界3大料理とは「中華、フランス、トルコ」の3件という説と「中華、フランス、イタリア」の3件という主張があります。

御三家から派生した「世界の3大~」というくくりは、それが何であれ日本人だけが騒ぐコンセプトで世界では実は意味をなしません。

それでも中華料理とフランス料理が世界で1、2を争う料理で、次にイタりあ料理とトルコ料理が続く、と考える人は地球上に多いのではないでしょうか。だが筆者は少し違う意見を持っています。

筆者の考える世界の3大料理とは、ランク順に:

「日本料理、イタリア料理、中華料理」です。

さらに筆者はこれまでに実際に食べてみた世界料理の中では、7大料理というくくりを持っているます

それはランク順に:

「日本料理、イタリア料理、中華料理、トルコ料理、スペイン料理、ギリシャ料理、フランス料理」です。

フランス料理には何の恨みもありません。同料理の「こってり感」と「気取り感」が、個人的には世界で7番目くらいに好き、というだけの話です。

ところがです。

筆者はトルコ料理、スペイン料理、ギリシャ料理を知るはるか以前に、フランス料理はむちゃくちゃに美味い、という矛盾した体験をしています。

イタリアのスロフード運動が、Arcigola(アルチゴーラ)と名乗っていた黎明期に彼らを取材しました。その後、グループに招待されてパリに同行しフランス料理を3日間食べまくったことがあるのです。

その時訪ねた全てのレストランのあらゆる料理が美味でした。Arcigola(スローフード)が選りすぐったレストランばかりだったからです。

しかし筆者の中ではその強烈な体験は例外的なケースとして認識されていて、ふだんはどうしてもランス料理にそれほど魅力を感じません。

そこで今回旅では、じっくりとフランス料理に挑んでみようと構えました。

結論を先に言えば、結論は同じでした。

筆者はやはり、フランス料理が苦手です。濃密なタレに包まれた魚肉や、親の仇みたいにしつこいソースの乗っかった肉料理は、美味くないことはないのですが物足りない。味をごまかされたようでしっくりこない。

だが、再び、ところが。

一軒の店のひと皿が起死回生のうっちゃりを筆者の舌に見舞いました。ルーブル美術館に近い店で食べた子羊の煮込みです。

そこまで肉も魚も厚化粧のタレ三昧の世界に飽きていたにもかかわらず、子羊の特製ソース煮込みという説明に惹かれて、ためらわずにその一品を注文しました。

筆者は地中海域を旅しながら、子羊&子ヤギ料理を探求しています。子羊&子ヤギ肉は、地中海域では国また宗教のいかんを問わずきわめてありふれた食材です。

料理の味も多種多彩で、それぞれの国や地域の風土や文化の香りがにじみ出たものばかりです。

レシピは基本的に2種類んい分けられます。焼きと煮込みです。焼きは炙りを含み、煮込みは蒸しを含みます。焼きレシピはハマれば目覚ましい味になりますが、多くの場合は単調な口当たりになります。

地中海から遠い欧州のほとんどのレストランが提供するのは、羊肉の風味がかすかに残るだけの独創性に乏しい、モノトーンな塩味の焼き料理です。

片や煮込みレシピは、いわば子羊&子ヤギ料理のハイライト。煮込みは各店のシェフの手腕でピンからキリまで大きく異なります。それぞれの店は秘伝のソースを編み出して技を競います。

子羊&子ヤギ肉には独特のに臭みがあります。技の第一はこの臭みの処理。続いて肉をいかに柔らかく仕上げるか。最後に各店のオリジナルのタレが絡んで絶品の味が出来上がります。

子羊&子ヤギ肉の煮込みはワインで言えば赤ワインです。選択肢が広く無数の味があり風味が限りなく深い。

ルーブル美術館脇の店で出会った料理はそんな極上品のひとつでした。いわば子羊肉の❝企業秘密ソース❞煮とも呼ぶべきひと皿。

筆者の苦手なフランス料理のこってりタレは、子羊肉を引き立て、臭みを消し、旨味をこれでもかとばかりに引き出す脇役に徹していました。

子羊料理とともに心地よい感動をもたらしたのは、フランス人の変貌です。

かつてフランス人は、「フランス優越意識」に縛られて、旅人に対し不親切だったり横柄だったり冷たい態度に終始することも珍しくありませんでした。

英語で話しかけると知らないふりをしたり不機嫌になったりする、良く知られた悪評そのものの反応に筆者もしばしば出会いました。

そんな不快なフランス人気質は、フランス人がEUという運命共同体の中で生きていくうちに徐々に消滅して、EU人としての意識が芽生え高まっていることが分かります。

他の加盟国の人々との垣根が低くなり、親しみが生まれ、友好親善の心が強くなって連帯意識が増しています。

何事につけEU(欧州連合)というコンセプトが優先される状況は、人々の意識に劇的な変化をもたらしたのです。

フランス人のパスポートには、他の全ての欧州連合加盟国のパスポートと同じように、フランス共和国の名前に先んじて「欧州連合」という文字が鮮明に刻印されています。それは欧州の勲章とも呼べる輝かしい理念の表出です。

つまり欧州連合を構成する27国の国民にとっては、それぞれの国が祖国であると同時に欧州が母体であると明確に規定されているのです。それは欧州の長い歴史の中で初めて出現したコンセプトであり意識であり法的規定です。

それどころか実はそれは、大きな経済ブロック内の人々が国民意識に近似した同一の共同体意識を持った、世界で初めての出来事、と言ってもよいでしょう。

アメリカ合衆国がそれに近いコンセプトで成り立っていますが、そこを欧州連合と同一に見なすことはできません。なぜなら合衆国内の「それぞれの国民(州民)」は、誰もが同じ言語を話します。

片やEU内のそれぞれの国民は、それぞれが違う言語を母国語にしています。多様性という意味でアメリカ合衆国を寄せ付けない強さを持っているのです。

むろんそれは弱さにもなり得ます。そしてその弱さを克服することが、EUのさらなる強さを担保していく、という多様性を核にした重構造を持つのが欧州連合です。

そうやってかつてはなによりも優先された「優秀なフランス人」意識が後退し、他者と同列の心理が強いEU人意識が根付いて、筆者に言わせるとフランス人は「いい奴ら」へと変貌しました。

その意識はEU枠外人の筆者のような旅人にまで敷衍発揮され、翻って彼らへの好感度が大きく高まると筆者は見考えます。

論じつめれば、今回のフランス旅でも「フランス料理」は全体として筆者を虜にすることはありませんでしたが、フランスという国とフランス人は、まっすぐに噴射上昇するロケットのように筆者の中で好感度を増して舞い上がったのでした。

 

 

 

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