“ザ極右“の隠し切れない尻

イタリアは年初からポッツォロ事件で揺れています。

国会議員のエマヌエレ・ポッツォロ(Emanuele Pozzolo)氏が、年忘れパーティーにあろうことか拳銃をポケットに忍ばせて出席し、それが“暴発”して一人が負傷しました。

ポッツォロ氏は38歳。極右で与党の「イタリアの同胞」所属の代議士です。

ポッツォロ議員は拳銃は自分が発砲したのではないと主張。事態が紛糾しました。

代議士の主張はこうです。

彼はポケットにピストルを忍ばせたオーバーコートを椅子の背もたれに掛けた。するとピストルがこぼれ落ちた。(あわてた)ポッツォロ氏がそれを拾い上げたとき、はずみで銃が暴発したといいます。

だがそこにいた人々の中には、ポッツォロ議員が意図的に発砲した、と証言する者もいて、今も混乱が続いています。

彼の所属党、イタリアの同胞党首でもあるメローニ首相は事件に激怒。彼を党から除籍すると息巻きましたが。結局党資格停止処分になりました。

メローニ首相はネオファシストと規定されることさえある右派政治家ですが、昨年首相に就任してからは、極右的な激しい言動を控えてより中道寄りの物腰と政策を心がけています。

それは効を奏して、彼女はEU本部からも国内の野党からも、対話が可能な右派政治家として見なされ、それに沿って「普通に」仕事をこなしていると見えます。

自由都市国家メンタリティーの集合体であるイタリア共和国には強い多様性が息づいています。そこでは政治勢力が四分五裂して存在し極論者や過激派が生まれやすい。

ところがそれらの極論者や過激派は、多くの対抗勢力を取り込もうとして、より過激に走るのではなく、より穏健になる傾向が強い。

多様性が政治の過激化を抑制するのです。

2018年に船出した極右「同盟」と極左「五つ星運動」による連立政権は、政治的過激派が政権を握っても、彼らの日頃の主張がただちに国の行く末を決定付けることはない、ということを示しました。多様性の効能です。

イタリアの同胞が主導する右派政権も、ここまでは同じ道を辿っています。

メロ-ニ首相は ポッツォロ事件では代議士を激しく非難。先に触れたように彼は党員資格を停止されました。処分は今後の成り行きではさらに重くなると見られています。

メロ-ニ首相は―事件の真相が何であれ―ポケットに拳銃を忍ばせて大晦日の年越しパーティーに出席するという異様且つ「暴力的」な行動は、いかにも極右的と国民に受け止められることを知っていたに違いありません。

彼女の市民感覚は極めて正常だと証明されたと言ってもいいでしょう。

年越しパーティー兼新年会に、ピストルを持ち込む国会議員とは一体なんでしょう?ほとんど狂気に近い行動ではないでしょうか。

極右の問題はそういうところにあります。やることが暴力的に過激なのです。それは左の極論者も同じです。

過激派を放っておくと、やがて拡大成長して社会に強い影響を及ぼします。あまつさえ人々を次々に取り込んでさらに膨張します。

膨張するのは、新規の同調者が増えると同時に、それまで潜行していた彼らの同類の者がカミングアウトしていくからです。

トランプ大統領が誕生したことによって、それまで秘匿されていたアメリカの反動右翼勢力が、一気に姿を現したのが典型的な例です。

彼らの思想行動が政治的奔流となった暁には、日独伊のかつての極右パワーがそうであったように急速に社会を押しつぶしていきます。

そして奔流は世界の主流となって、ついには戦争へと突入します。そしてそこに至るまでには、弾圧や暴力や破壊や混乱が跋扈するのはうまでもありません。

したがって極右モメンタムは抑さえ込まれなければならない。激流となって制御不能になる前に、その芽が摘み取られるべきです。

ポッツォロ事件の真の怖さは、銃を発砲したしないの問題よりも、そもそも「年越し兼新年会パーティー」に拳銃を持ち込む感覚がすでに異様で暴力的、という点だと思います。

ネオファシストとさえ呼ばれたメーローニ首相は、既述のように政権奪取以来より穏健で中道寄りに傾く政策を採っています。

しかし彼女が率いる極右政党は、ポッツォロ代議士のようなトンデモ人間を包含して存在する、という現実を片時も忘れてはなりません。

 

 

 

 


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ボーイング737MAXも787も乗らないに越したことはない

先日運行停止になったボーイング社の問題児、737MAXが空を翔るのはまだ先になりそうです。

ブティジェッジ米運輸長官が1月10日、規制当局が安全飛行が可能と判断するまで737MAXは地上待機をしなければならないと語ったからです。

737MAXは前回、2018年に起きたインドネシア・ライオン航空の墜落事故と、2019年に起きたアフリカ・エチオピア航空の墜落事故を受けて運行停止になりました。

今回は上昇中に側壁が吹き飛ぶという信じられないような事故でした。

ボーイング737MAXは鬱陶しいが、ボーイングの787ドリームライナーもすっきりしない飛行機です。

ボーイング787は低燃費、安全性を旗印に市場に出ましたが、2013年にバッテリーの不具合という深刻な問題でコケました。

バッテリー事故のあと、ボーイング社は故障の原因究明を懸命に行ないました。

だが結局分からず、可能性のある80通りのケースを想定して、これに対応する形での改善策を米FAA・連邦航空局に提示して了承されました。

以来同様の事故は起きていません。

でもボーイング社もFAAも当時、いわば

「故障しない保証はないが、大事故はない。だから心配するな」

という形で幕引きを図りました。

だがなんにも頼るもののない空の上で、飛行機が火事になったら、あるいはバッテリーが発火して火事になりそうになったら、はたまたそういう可能性があるかもしれない、と考えたりしながら座席に座っていても少しも楽しくない、と筆者は当時思い、今も同じ気持ちでいます。

飛行機に乗るのならば100%の安全やゼロリスクというのはもちろんあり得ない。しかし、故障の原因は分からないが「故障は封じ込めたから安心しろ」というのは、どうもしっくりきません。

片や737MAXは墜落事故の後、飛行制御ソフトウェアの不具合が事故の原因と特定されました。

ボーイング社は飛行制御ソフトウェアの設計変更に取り組み、アメリカ連邦航空局(FAA)が承認して飛行禁止を解除しました。

787ドリームライナーのバッテリー問題も、737MAXのソフトウェアの不具合も愉快ではないが、事故原因が特定できなかった787のほうがより嫌だ、と筆者は思います。

むろん機体の側壁が吹き飛んだ今回の737MAXの事故原因が、しっかりと究明されるという前提での話です。

 

 

 

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安倍派ガサ入れはマフィア逮捕劇の兄弟ドラマ

先日、裏金工作事件に関連して安倍派の池田佳隆衆議院議員が逮捕されました。東京地検特捜部はひょっとすると本気で巨悪に挑もうとしているのかもしれません。

昨年12月、東京地検特捜部が安倍派の事務所に家宅捜索に入りました。

それは良いニュースであり悪いニュースでもありました。

良いニュースとは、特捜部が安倍派に歯向かったことです。

安倍晋三というひとりの議員に過ぎない者が、一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことです。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきです。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受けます。受け続けなければならない。

悪いニュースは、司法が権力者の前ではへつらっていたくせに、その権力者が死ぬとほぼ同時に復讐に出た卑劣さです。

司法が真に三権の一角を担う存在なら、彼らは安倍元首相が君臨していたころから毅然として、まかり通る理不尽に立ち向かうべきでした。忖度などもってのほかだったのです。

日本の検察は、1警官ごときが「オイ、コラ」と威張っていた未開時代からあまり進歩していません。

検察が罪をでっち上げた最近の冤罪事件「大川原化工機事件」を持ち出すまでもなく、権力を傘に着た専制的な動きが普通に起きます。

東京地検の安倍派へのガサ入れには喝采するものの、そこには彼らの前近代的で傲岸なメンタリティーも一役買っているように見えるのが憂鬱です。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることです。

その分かりやすい例を挙げます。

イタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕されました。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出ました。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こりました。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張しました。

もっと具体的に言えば、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされました。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものです。

真偽のほどは今後の検証で明らかにされるでしょうが、政治が組織犯罪に翻弄されることもあるイタリアの民主主義は、日本ほど歪ではないものの未熟で見苦しい点も多々あります。

安倍晋三というラスボスの死去を受けて司法が反撃に出たらしい状況は、ベルルスコーニという権力者の没落と同時に、大ボスの逮捕に向かったイタリアの司法の必殺のチャンバラ劇を思い起こさせます。

昨年末のガサ入れの後、特捜部の動きは少し腰砕けになりつつある、という見方もありました。

しかし、彼らが安倍派の議員の逮捕に踏み切ったのは、特捜部のガッツが本物である証にも見えて頼もしい。ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしいと思います。

 

 

 

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殺人鬼ブレイビクを忘れない

2011年7月、アンネシュ・ブレイビクがノルウエーの首都オスロでほとんどが若者だった77人を殺害し禁固21年の刑を受けました。

ブレイビクは先日、彼が受けている懲罰としての隔離は、人権侵害また非人道的な扱いを禁止する欧州人権条約(ECHR)第3条に違反していると主張しました。

彼は現在、キッチン、食堂、ゲーム機Xbox付きのテレビ室(娯楽室)、バーベル、トレッドミル、ローイングマシン等を備えたフィットネスジム付きの、2階建ての独房に収監されています。

ブレイビクは、2016年にも同様の申し立てをして制限つきの自由を要求し、却下されました。

事件が起きた2011年7月以降しばらくは、ブレイビクが死刑にならず、あまつさえ「たった」21年の禁固刑になったことへの不満がくすぶりました。

だがその不満は実は、日本人を始めとする死刑制度維持国の国民だけが感じているもので、当のノルウェーはもちろん欧州でもそれほど問題にはなりませんでした。

なぜなら、欧州ではいかなる残虐な犯罪者も死刑にはならず、また21年という「軽い」刑罰はノルウェーの内政だから他者は口を挟みませんでした。

人々はむろん事件のむごたらしさに衝撃を受け、その重大さに困惑し怒りを覚えました。

だが、死刑制度のない社会では、犯人を死刑にしろという感情は湧かず、そういう主張もありませんでした。

ノルウェー国民の関心の多くは、この恐ろしい殺人鬼を刑罰を通していかに更生させるか、という点にありました。

ノルウェーでは刑罰は最高刑でも禁固21年です。従ってその最高刑の21年が出たときに彼らが考えたのは、ブレイビクを更生させること、というひと言に集中しました。

被害者の母親のひとりは「 1人の人間がこれだけ憎しみを見せることができたのです。ならば1人の人間がそれと同じ量の愛を見せることもできるはずです」と答えました。

また当時のストルテンベルグ首相は、ブレイビクが移民への憎しみから犯行に及んだことを念頭に「犯人は爆弾と銃弾でノルウェーを変えようとした。だが、国民は多様性を重んじる価値観を守った。私たちは勝ち、犯罪者は失敗した」と述べました。

EUは死刑廃止を連合への加盟の条件にしています。ノルウェーはEUの加盟国ではありません。だが死刑制度を否定し寛容な価値観を守ろうとする姿勢はEUもノルウェーも同じです。

死刑制度を否定するのは、論理的にも倫理的にも正しい世界の風潮です。筆者は少しのわだかまりを感じつつもその流れを肯定します。

だが、そうではあるものの、そして殺人鬼の命も大切と捉えこれを更生させようとするノルウェー国民のノーブルな精神に打たれはするものの、ほとんどが若者だった77人もの人々を惨殺した犯人が、“たった21年”の禁固刑で自由の身となることにはどうしても割り切れないものを感じます。

死刑がふさわしいのではないか、という野蛮な荒ぶった感情はぐっと抑えましょう。死刑の否定が必ず正義なのですから。

しかし、犯行後も危険思想を捨てたとは見えないアンネシュ・ブレイビクの場合には、せめて終身刑で対応するべきではないか、とは主張しておきたい。

その終身刑も釈放のない絶対終身刑あるいは重無期刑を、と言いたいところですが、再びノルウェー国民の気高い心情を考慮して、更生を期待しての無期刑というのが妥当なところでしょうか。

 

 

 



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能登半島地震は「原発を止めろ!」と叫んでいるように見える

能登半島地震直後の世界の報道の様子は、かなリラックスしたものでした。

震度(マグニチュードではない)7という恐ろしい数字の割には、死者もなく被害も小さいというニュアンスの報告が多く流れました。

英BBCは、かつて日本駐在で今は台湾在の記者の報告として、日本人によるもの悲しい「日本ってすごい」類いの発信かと見紛うほどの日本礼賛記事さえ書きました。

それらの影響もありましたが、震度7という不快な数字にも関わらず被害が最小限に抑えられているらしい、と筆者はすっかり安心しました。

間もなく事態は深刻だということが明らかになりました。が、時すでに遅く、筆者はあちこちに「明けましておめでとう」とノーテンキな年賀を発送してしまっていました。

慶賀とは真逆の、犠牲者の数と被害の大きさが連日増幅されていきました。

打ち明ければ最近、特に日本経済の不振を見続けるうちに、原発の再稼動、推進も致し方ないのではないか、と思ったりしたこともありました。

だが能登半島地震を見て、やはり日本には原発は置いてはならない、と改めて考え直していいます。必ず再生可能エネルギーへとシフトしていくべきです。

コストがかかり過ぎるなどと言ってはいられません。今後必ず来るであろう原発地域への大地震と津波被害をカバーする費用と、労力と、心理的ダメージ等の巨大さを思えば、再生可能エネルギー転換へのコストは知れたものです。

国の地震調査委員会の「全国地震予測地図」によると、能登半島を含む石川県の地震発生率は、南海トラフ地震の発生確率に比べるとほぼゼロと形容できるほどに低い。

程度の差はありますが、全国の発生確率予測も同様です。言葉を替えれば、南海トラフ地震の発生確率」だけが、政治的意図によって真実以上に高く評価されています。

今後30年ほどの間に大地震の起きる確率が「0.1%~3%未満」とされていた能登半島の巨大な揺れは、未知の断層で起きた可能性があります。

日本列島が乗っかっている活断層は、徴しが地表にも現われる極くわずかな部分を除いて、ほとんどが謎。未知の領域です。

危険が比較的高く、また政治的な狙いも加わって、発生確率が実際よりも異様に高く評価されているとされる南海トラフ地震域ほどではなくとも、北海道から沖縄までの日本列島はどこもかしこも危険地域です。

もはや一刻の猶予も許されません。日本は脱原発に舵を切るべきです。一斉に稼動を止めるのはさすがに無理でしょうが、古い原発から順に廃炉にしていく計画を立てて、それに並行して再生可能エネルギーへとシフトして行くべきです。

今回の能登地震は不幸中の幸いとも言うべきものです。被害は甚大ですが原発事故は起こりませんでした。

再び福島原発のような惨事が発生すれば、日本は2度と立ち上がれない可能性が高いと思います。




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渋谷君への手紙~初夢の深層心理

渋谷君

明けましておめでとうございます。

夏は一般公開もしているガルダ湖畔の妻の実家の館で年末年始を過ごしています。

早や60歳代も終盤になった年の正月となりました。

気はまるで変わりません。体もあちこちでガタがきていますが至って元気です。しかし、年齢を考えると、この先いつ何が起きてもおかしくないのだと自分に言い聞かせています。

ところで

芥川賞の最年長受賞記録は70歳と信じていたのですが、実はそれは75歳が正しいと先日知りました。

すごいですね。高齢になっても新鮮な感覚(多分)の小説が書けるという才能は。

僕も若いころから下手な小説を書いています。そういう若者の常で23歳までに芥川賞を取るつもりでした。が、ダメでした。

ところが25歳で「小説新潮」の月間新人賞佳作にまぐれ当たりしました。

その頃は小説家は諦めて、映画屋またテレビ屋として食べていこうと考え、ロンドンの映画学校で学んでいました。

「小説新潮」の月間新人賞にはロンドンから応募したのです。

ご存じのように「小説新潮」は直木賞及びエンターテイメント系の小説雑誌です。

東京での学生時代の僕の人生設計は、前述のように23歳までに芥川賞を取り、その後はエンターテイメント小説でがっぽり儲ける、というものでしたから狂喜しました(笑)。

僕はロンドン中のありたけの友人を呼び集め、日本から送られてきた賞金で安ワインを大量に買って、お祝いに飲んで騒ぎました。

ささやかな成功で「いっぱしの作家気分」を味わった僕は、小説書きはとりあえず脇に置いておいて、当時面白かった映画制作の勉強に夢中になって行きました。

やがてプロのテレビ屋となりドキュメンタリーや報道系番組の制作に奔走しました。

そんな日々の中でも、小説を書くことに関しては僕は根拠の無い自信にあふれていました。

また少しは書いてもいました。やっとこさで仕上げた作品が文芸雑誌に掲載されたこともありました。

しかし、ほとんどの場合は仕上げまでに至らず、書きかけの原稿がホコリにまれていく時間が過ぎました。

やがて僕は、思い通りに書かないのは“書けない”からであり、それは才能不足が原因、という当たり前の事実に気づきます。

それと同時に根拠がいっぱいの自信喪失の穴の中に落ちていきました。

そんな折、SNSに出会いました。

僕はそこを通して再び書くことの喜びを知りました。記事やエッセイやもの思いを書き続けるうち、小説を書きたいという気持ちも頭をもたげました。

だが新作には至らず、つまり新作は書けず、過去に書き損じていた作品を推敲し直してまとめ、SNS上に恐る恐る投稿するという形で今日まできました。

そんな時間が続くある日、つまり昨晩、僕は芥川賞最年長受賞記録に挑戦しようと決意する初夢を見ました。

今の記録である75歳まではまだ時間があるので、そこまでは文章修行に打ちこみ、76歳から挑戦しようというのです。

そこに行くまでに、どなたかが例えば80歳で受賞などと記録を伸ばしてくださるなら、どうぞ。と僕は歓迎します。

なぜならその場合は僕の目標は81歳となり、またチャンスが広がるからです。

最年少受賞記録を塗り替えるのは大変ですが、最年長受賞記録はたやすい。なにしろ記録年齢の数字を越えればいつでもOK、ということですから。

つまりタイムリミットがありません。

最悪の場合は生きている間には取れなくてもいいということですね。

もしも来世で取れればますます良い。

なぜなら生きていた時よりも、死んでいる年数の分さらに年を取っているわけですから、最年長受賞記録をもっとさらに大幅に更新、ということになります。

いやぁ、実にやり甲斐のある挑戦だなぁ。胸がふるえます。

などと武者震いをしながら僕は初夢から覚めました。

でもね

実は芥川賞は挑むものではなく、向こうが勝手にくれるもの。なので何もせず、寝て果報を待つことにします。

そんな訳でことしは何作の小説が書けるか分かりませんが、もしも書きあげたらお知らせします。

もしかしたら芥川賞受賞作品かもしれない僕の幻の小説を見逃さないように、いつも緊張しながら気をつけて見ていてくださいね。

へてからに

本年もよろしくお願い申し上げます。

 

 



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安倍派ガサ入れの意義

2023年12月19日朝、東京地検特捜部が安倍派と二階派の事務所に家宅捜索に入りました。

大物議員の逮捕起訴には大きなハードルがあるとされる中、裏金工作事件で東京地検特捜部がおよそ19年ぶりに安倍派と二階派の事務所にガサ入れをした、というニュースは新鮮でした。

政治に抑圧されていた司法が、闇の力の消失あるいは弱体化によって一気に力を盛り返す事例は、民主主義が歪に発達した国で特によく起こることです。

例えばイタリアで2006年、43年間潜伏逃亡をし続けたマフィアの大ボス、ベルナルド・プロヴェンツァーノが逮捕されました。

プロヴェンツァーノは逃亡中のほとんどの時間を、時には妻子までともなってシチリア島のパレルモで過ごしたことが明るみに出ました。

するとマフィアのトップの凶悪犯が、人口70万人足らずのパレルモ市内で、妻子まで引き連れて40年以上も逃亡潜伏することが果たして可能か、という議論がわき起こりました。

それは無理だと考える人々は、イタリアの総選挙で政権が交替したのを契機に何かが動いて、ボス逮捕のGOサインが出たと主張しました。

もっと具体的に言うと、プロヴェンツァーノが逮捕される直前、当時絶大な人気を誇っていたイタリア政界のドン、シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相が選挙に 負けて政権から引きずり下ろされました。

そのためにベルルスコーニ元首相はもはやマフィアを守り切れなくなり、プロヴェンツァーノ逮捕のGOサインが出た、というものです。

その説はベルルスコーニ元首相とマフィアが癒着していると決め付けるものでした。醜聞が多かった元首相にはマフィアがらみの黒い報告も少なくないのです。

東京地検特捜部が、特に安倍派をターゲットに「ふいに」捜索を強めた様子は、ベルルスコーニ元首相とマフィアのエピソードをも想起させます。

安倍元首相というラスボスが死去したことを受けて、司法が反撃に出たようにも見えるのです。

特捜部の動きは少し腰砕けになりつつある、という見方もあるようだが、ぜひ踏ん張って捜索を強行していってほしい。

なぜならひとりの議員が一国の司法を抑圧し闇の力を行使するなど断じてあってはならないことだからです。

死者を鞭打つなという日本独特の美徳は、権力者に対しては示されるべきではない。

公の存在である政治家は、公の批判、つまり歴史の審判を受ける。受けなければなりません。

安倍元首相の力が悪徳の隠ぺいに一役買っていたのなら、彼は死して後もなお、実行犯の議員らと同様に徹底糾弾されるべきです。

 

 

 

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熱風シロッコが吹くクリスマス

2023年のクリスマスは温い1日でした。温暖化に加えてシロッコが吹き、北イタリアガルダ湖畔にそびえるバルト山頂の雪も消えてはげ山のようでした。

シロッコはアフリカのサハラ砂漠由来の乾いた風。

そこの高気圧と地中海の低気圧がぶつかって生まれ、地中海に嵐を引き起こし、イタリアに到達するころには海の湿気をたっぷり飲み込んで蒸し暑い風となります。

欧州ではイタリアのシチリア島をなぶった後、北上してイタリア本土、フランスなどに序陸します。春や夏に吹くシロッコはただの蒸し暑い風ですが、冬にやってくるシロッコは異様です。

それは例えて言えば、自然の中に人工の何かが差し込まれたような感じ。つまり、寒気という自然の中に、シロッコの暖気という「人造の空気」が無理に挿入されたような雰囲気です。

シロッコも自然には違いないのですが、寒い時期にふいにあたりに充満する気流の熱は、違和感があって落ち着きせん。

暑い季節に吹く、さらに蒸し暑いシロッコには、不自然な感じはありません。それはただ暑さを猛暑に変えるやっかいもの、あるいはいたずらもの。

夏が暑かったり猛暑だったりするのは当たり前ですから、ほとんど気になりません。

しかし寒中に暖を持ちこむ冬場のシロッコには、どうしても「トツゼン」の印象があります。まわりから浮き上がっていて異様です。なじめません。

そう、冬場に吹くシロッコは、寒いイタリアに「トツゼン」舞い降りた異邦人。疎外感はそこに根ざしています。

シロッコは春と秋に多く生まれますが、一年を通して吹く風です。昨年、クリスマスの前後の日々を焼いていたシロッコは、12月22日の早朝に始まりました。

冬至の日の朝、窓の外扉を開けると殴るような風が吹いて扉を石壁に押しやりました。真冬だというのに強い気流にはむっとするほどの熱気がこもっていました。 

あ、シロッコだとすぐに悟りました。

地中海沿岸域に多く吹くシロッコは、時には内陸にまで吹きすさみ或いは暑気を送り込んで、環境に多大な影響を与えます。

中でも最も深刻なのは水の都ベニスへの差し響き。シロッコはベニスの海の潮を巻き上げて押し寄せ、街を水浸しにします。ベニス水没の原因の一つは実はシロッコです。

サハラ砂漠で生まれたシロッコが、イタリアひいては南欧各地を騒がすのは、ヒマラヤ起源の大気流が沖縄から東北までの日本列島に梅雨をもたらすのに似た、自然の大いなる営みです。

 

 

 

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たとえ裏金作りでも沽券は無いよりあったほうがいい 

金は、天下ならぬ政治の回り物。

政治と金の問題は世界中のどの国にもあります。どの国にもありますが、安倍派の裏金工作は中身がいかにも日本的なところが陰うつです。

日本的とは、裏金作りでさえ集団で成されている事実です。安倍派の閣僚がこぞって辞任したのを見るまでもなく、1人では何もできない者らが集まって悪事を働いていたことが分かります。

似たような事件が例えばここイタリアを含む欧州あるいは南北アメリカなどで起きたなら、それは政治家個々人の裁量でなされる悪事になるに違いありません。

悪事はひとりで働くほうが露見する可能性が低くなります。

同時にそれは、悪事とは言え、自主独立した一個の人格が自己責任において動く、という自我の確立した現代社会の一員としての当たり前の生き方です。

自主性また自我の確立が優先される集団では、それぞれの個性、つまり多様性が、画一主義に陥り全体主義に走ろうとする力を抑える働きをshます。集団の暴走に歯止めがかかるのです。

逆に自主性また自我よりも集団の論理が優先する社会では、何かが起きた場合は集団催眠状態に陥り全体が暴走する可能性が高くなります。

その典型例が国家全体で太平洋戦争に突き進んだ日本の在りし日の姿です。

集団で裏金工作にまい進する安倍派また自民党の各派閥は、第2次大戦という巨大な悲劇を経てもなお変わらない日本の汚点そのものです。

たとえばここイタリアでは2018年に極右と極左が手を結んで連立政権が生まれましたが、彼らが極端へと突っ走ることはありませんでした。

また2022年には極右のメローニ政権が誕生しましたが、これまでのところはやはり過激論には走らず、より穏健な「右派政権」であり続けています。

それらはイタリア社会が、自主性と確固とした自我が担保する多様性に満ちた世界であるがゆえの、ポジティブな現象です。

安倍派裏金工作では、日本の諸悪の原因のひとつである独立自尊の風の欠落、という一面ばかりが見えてやりきれません。

しかもそれらのどんぐりの背比べ政治家群は、安倍元首相という隠れ独裁者の手先だったところがさらに見苦しい。

彼らは集団で安倍元首相の配下になり、集団で裏金工作まで行うという恥ずかしい作業に夢中で取り組んだ節があります。

重ねて不快なのは、安倍派のひいては自民党の主勢力がトランプ主義者の集団である点です。

そのことは2016年、安倍元首相が大統領選に勝った「就任前の」トランプ氏をたずねて諂笑を振りまいた事件で明らかになりました。

ファシスト気質のトランプ前大統領は、一見するとソフトな印象に覆われた、だがその正体は彼と同じくファシスト気質の安倍元首相を、あたかも親友でもあるかのように見せかけて自在に操りました。

ラスボス・トランプ前大統領に仕えたチビボス・安倍元首相の子分の議員らが、「こぞって」犯したのが今回の安倍派裏金工作事件ではないでしょうか。

 

 

 

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ウーB 与力の喜悦

屋根上に伸びる木の枝に休んでいた鳩に狙いを定めて、ウーB与力はショットガンの引き金を引いた。ウーB与力が生まれて初めて獲物を撃った瞬間だった。

鳩が、石が落ちるように速く、真っ直ぐに落下した。なぎ倒されたというふうだった。落ちて屋根に叩きつけられた。ドサリ、と音がしたようだ。

ウーB与力は強烈な勝利の感覚を覚えた。相手を支配し、征服し、思いのままに翻弄した、と感じた。歓喜と充足感が全身を鷲づかみにしていた。

これが友人のハンター、ウーG村五が言っていた快感の正体だとウーB与力は悟った。

狩猟をする人々は、獲物を狩ってその肉を食べるのが目的ではない。

畑の作物を獣害から守るためでもない。 環境のために個体数を管理するなどという崇高な目的があるからでもない。

ハンターは殺すことを楽しまない、とハンターは言う。

違う。

殺すことが楽しく、しかもそれはハンター以外の人々には知られたくないもったいない心情であり喜びだから、彼らはあえてそう否定するのだ。

獲物を撃ち殺すのは楽しい。ウーB与力は腹からそう感じた。

ハンターは鳥や獣を打ち倒して自らの力を誇示したいのだ。虐め、支配し、貶め、制圧し、責め苛み横暴の限りを尽くして虐殺する。彼らにはそれが愉しいのだ。

鳩がウーB与力に撃たれて呆気なく、ドサリと屋根に落ちた瞬間、彼は充足し高まり、続いて射精するよりも遥かに大きな快感を覚えた。

腰抜けのウーB与力は、銃に対しても臆病だった。

盗賊ハンティングのために銃を持つ資格が国から与えられても、ヤクザ狩りのライセンスがヤクザ以外の全国民に発行されても、ウーB与力は銃を手に入れなかった。

操作どころか、実は銃に触ることさえウーB与力は恐ろしかったのだ。

かつて、ほぼ第100代目の総理大臣が威張っていたころ、日本は異形の国へと変貌を遂げた。

ほぼ第100代目の総理大臣が、超大国のカウンターパートの金魚のフンとなって撒き散らした狼藉の種が大きく育って、国会議事堂が陰謀論者ヤアウトローやアナキストやテロリストに頻繁に占拠される、まがまがしい国になった。

当時、超大国を牛耳っていラスボスは、民主主義の名の下に大統領になったが、一期目の終わりに負け選挙戦をクーデターで覆して再び大統領になり、同じ民主主義の名の下に独裁者になった。

彼は以後、日本の隣の独裁者や似非民主主義国の暴君やタイラント等とひんぱんに手を組んで、彼のポチである日本のほぼ第100代目の総理大臣を洗脳し、あたかもラスボスの刎頚の友でもあるかのように思い込ませて、やり放題に日本を狼藉国へと押しやった。

そうやって日本は、ほぼ第100代目の総理大臣が秘匿していた正体と総じて同じもの、つまり独裁と差別主義と権柄づくが跋扈する国となった。

専横と危険と暴力が支配する国では、銃を始めとするあらゆる武器を満艦飾に帯びた賊がはびこった。

賊のほとんどは、ほぼ第100代目の総理大臣の周囲の、権力機構の飼い犬だった。

普通の場合は権力機構は、権力を傘に着て支配し、且つ権力の源となる主体をしっかりと握ってなにがなんでも手離さないものだ。

だが、しかし、

ほぼ第100代目の総理大臣は、当時問題になっていた移民と難民の区別も知らないほどの無明の者で、当然のように排外差別主義者でもあった。

彼は当時、彼自身の思いつきで出稼ぎ外国人労働者を増やした。日本の人手不足を埋めた後には、こちらの都合で全員を彼ら自身の国に追い返す、というジコチューな気構えで実行した政策だった。

ほぼ第100代目の総理大臣が言い続けた「出稼ぎ外国人労働者」とは、言うまでもなく「移民」のことである。

日本にどっと入った外国人労働者つまり移民は、程なくしてほぼ第100代目の総理大臣の差別政策に不満を抱き、次々に移民としての当たり前の権利を行使し待遇改善を要求した。

それはSNS上での不満の声になり、デモを誘発し、ストライキとなって奔流した。官憲との対峙も頻発し時には暴力的な動きにも発展した。

ほぼ第100代目の総理大臣は、彼の言う外国人出稼ぎ労働者つまり移民への執拗な差別意識から、移民に対抗する手段として日本国籍の日本人は武器を保持してもよい、と法律を変えた。

日本国籍の日本人は自在に銃器を手に入れて移民に発砲し、ヤクザを狩り、自衛のために強盗などの賊を存分に襲撃しても良い、ということになった。

普通なら特権は仲間内で回して愛でて、それによって民衆を支配し抑圧するものなのに、ほぼ第100代目の総理大臣は余りにも強い移民への差別心と、そこから生まれた恐怖に判断力を失った。

結果、特権を全ての日本人に与えてしまった。

人々は我先にと武器を手に入れて、できるだけ早くその扱いに長けようとした。

ウーB与力は物騒な世の中になったので、自分も武装しようと思いつつ、銃コワガリのせいでままならずにいた。

ところが4年前、ウーB与力の家に賊が押し入った。武装した男3人がウーB与力と妻のタコヨシを縛り上げ、ウーB与力のコメカミに拳銃を突きつけて金を出せと迫った。

気丈なウーB与力の妻タコヨシが、金などない、他人の家に勝手に入るな、さっさと出て行け、などと怒鳴って賊をなじった。

すると賊の1人が銃尻でタコヨシを殴り、崩れ落ちる彼女の背中をもう1人が靴先で蹴り上げた。容赦のない打撃でタコヨシは気絶した。

ウーB与力は成すすべもなく立ち尽くした。男らはガタガタ震えている与力を蔑み、嘲笑いつつコメカミに当てていた銃と鉄拳で互い違いに何度も殴った。ウーB与力もさっさと気を失った。

その体験を経てウーB与力はようやく銃の扱いを習う決心をした。

自衛が目的の銃器保持だったが、ウーB与力は再び賊に襲われた場合は、攻撃的に立ち回りたいという気分でいた。

そんな折にウーB与力は鳩を撃った。あっさりと死んだ鳥を目の当たりにして、ウーB与力の中に眠っていた彼の本性が覚醒した。本性は獣性だった。

いやそれは正確ではない。人から見る獣性とは獣の食欲に過ぎない。獣は空腹を満たすために他の獣を狩る。それ以外の攻撃は彼が危険にさらされた時だ。

それは自衛のための暴力なのである。

だが人は楽しみや快楽や優越感から、さらに自慢やエゴを満たすためにも攻撃し、抑圧し、虐待し、殺す。

鳩を撃ち殺した瞬間に覚えたウーB与力の悦楽は、まさにその人間独特の獣性から来ていた。

しかもウーB与力は、たった一度の殺傷で、殺傷中毒になった。彼はすぐに次の虐殺を希求した。鳩でもイノシシでも鹿でも何でもいいから殺しまくりたいと思った。

賊が跋扈する日本では狩猟も盛んになっていた。

行政が熊、猪、鹿などの保護と駆除の間で揺れ動き、いかにも日本らしくうろたえまくる間に、爆発的な勢いで野生動物が増えた。

熊が集落近くに出没するのは当たり前になり、猪が全国の市町村内の目抜き通りを群れて歩き回ることさえ珍しくなくなった。

左寄りに寄り過ぎた動物愛護家や自然愛好家たちは、ヒトが熊や猪に殺されても「動物を愛そう、共生しよう」「動物は殺さない。殺すように仕向けたヒトが殺した」などと叫んで、猟銃や拳銃をヒトに向けて振り回しぶっ放した。

争いと罵声と暴力に寛大な超大国の首魁のお追従に忙しいほぼ第100代目の総理大臣と、彼に続いた彼の子分の日本の首相らは、移民と賊とヤクザ狩りに加えて狩猟も奨励し、日本中にさらに武器があふれた。

ウーB与力は鳩を撃ち、撃ち慣れると鹿や猪狩りにも出掛けた。やがて獲物は人間でも良いと彼は感じるようになった。

そうやってウーB与力の本格的な狩りの季節が始まった。

 

 

 

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